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初代理事長の山際源一郎先生のこと~伊勢市の地域医療の基礎を構築された先人~赤十字病院から医療生協まで

執筆者の写真: 伊勢 みえ医療福祉生活協同組合伊勢 みえ医療福祉生活協同組合

伊勢度会医療生活協同組合(現・みえ医療福祉生活協同組合)は、2025年3月23日に創立50周年を迎えます。さて突然ですが、伊勢度会医療生活協同組合の初代理事長さんについて、ご存知でしょうか?


初代理事長は、山際源一郎(やまぎわ げんいちろう)先生で、1975年の伊勢度会医療生活協同組合創立時から1986年に内山勝之先生(現・名誉所長)に理事長職をバトンタッチするまでの期間、私たちの医療生協を理事長として、支えてくださいました。


なお、山際先生は1947年から1953年まで、山田赤十字病院(現・伊勢赤十字病院)の院長(第5代院長)も務められ、戦後間もない山田赤十字病院の経営指揮を担われた方でもいらっしゃいます。伊勢市内の地域医療について、現代にまで繋がる基礎を第一線で構築された方と言えると思います。

写真上:山際源一郎先生(1975年3月23日、伊勢度会医療生活協同組合創立時の記念撮影より)


今回、過去の資料を整理するなかで、山際源一郎先生が伊勢度会医療生活協同組合の広報誌(1975年10月20日号)に寄稿した文章が見つかりましたので、語句の表現をそのままにご紹介します。短いながらも、医療生協の歴史や特徴を的確に表現された文章だと思います。


医療生活協同組合について


山際源一郎


 生活協同組合の代表的なものは購買生協だがその歴史は意外に古く、発生は徳川時代末期で諸外国が日本に開国を求めて盛んに来日した時代、機械化による産業革命の進行しておった「イギリス」の工業都市「ロッチヂール」で労働者によって創られた。以来約百三十年間に発展をつづけ世界各地にひろがっている。

 三重県では十七の購買生協がある。医療生協は古くからの津の柳山診療所があり、伊勢では今年八月開所を目標に、この三月二十三日に伊勢度会医療生活協同組合の創立総会を持った。

 一般的に生協は組合員が出資して、設備をつくり、職員を雇い、運営し、利用者になる。そして地域や、職場の班を中心にして運動を行うのである。併し医療生協は他の購買生協とちがって、その医療活動は医師法との関係で組合員外の利用も当然認められている。しかし生協では一般的な病気の診察の外に、班を中心とした活動を行い、組合員とその家族の健康管理、予防医学の立場に立つ健康診断等の諸活動を行うことになっている。

 以上簡略に医療生協について御紹介したが、今篤志な市民の方々が八月開所を目途に涙ぐましい努力をしている。理想をかかげて発足する伊勢度会医療生協に対し医師会員諸君の関心と理解と声援を切にお願いしたい。


注:「ロッチヂール」は、現代では「ロッチデール」と表記されることが多いです。

注2:山際源一郎先生の文章から判明した事実なのですが、伊勢民主診療所は当初、1975年の8月開業を目指していたようです。実際には1976年4月に開業しました。


山際源一郎先生は、以上の文章を伊勢地区医師会の会報にも寄稿されたとのことで、伊勢民主診療所開所にあたり、伊勢市内の各医療機関の先生がたに対しても、いろいろな配慮や紹介に努めたとのお話が伝わっています。


ちなみに山際源一郎先生は、伊勢市のたけのこ保育園も創設された方です(社会福祉法人山際福祉会)。詳しくは、たけのこ保育園さんの公式ホームページをご覧ください。

そのほか山際先生は、三重県病院協会(第1回設立総会時)の理事長としても、ご活躍されました。

写真上:1975年3月23日の伊勢度会医療生活協同組合創立総会で司会進行を務める山際源一郎先生


写真上:1975年3月23日の伊勢度会医療生活協同組合創立総会会場(@八日市場公民館)にちょうど到着したところの山際源一郎先生


写真上(付録):2025年2月15日撮影、八日市場町公民館の建物(※細かなことですが、1975年当時は「八日市場公民館」の看板で、現在は「八日市場町公民館」の看板が掲げられていることから、50年の時間経過のどこかで「町」の1文字が名称に追加されたようです。)

参考出典

『10周年記念略史 付 定款規則 1987』(編集・発行:伊勢度会医療生活協同組合)

『伊勢・度会医療生協ニュース 昭和50年10月20日号』(編集・発行:伊勢度会医療生活協同組合)

『百年の歩み』(編集:百周年記念誌編集委員会、発行者:山田赤十字病院)


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